ちょっと知りたい雑学

クリスマス休戦と203高地(二百三高地)


 

クリスマス休戦をご存じですか?

第一次世界大戦(1914年~1918年)中に西武戦線各地で一時的な休戦状態になり、イギリス・ドイツ双方の兵士がともにクリスマスを祝い、酒や食料を分けあい、交歓したとのことです。

日本の古い映画でも似たようなシーンを見たことがあります。記憶を辿って見ると、日露戦争の旅順攻防戦を描いた「203高地」と言う映画でした。



 

クリスマス休戦

第一次世界大戦中、1914年の12月24日から25日に西部戦線各地に生じた一時的な休戦状態で最前線で対峙していた、イギリスとドイツの兵士がともにクリスマスを祝ったというものです。(ウィキペディアより)

第一次大戦は、ドイツとイギリス、フランス等の連合国の戦いでベルギーからフランスまでに構築された戦線を西部戦線と言います。

写真は、当時中心だった塹壕戦の様子です。

 

当時は、戦死者の回収や塹壕の補修などを行う間に互いに短期間の停戦をするという暗黙の了解が・・・。(ウィキペディアより)、とあり、少々牧歌的な雰囲気のある戦争だったのでしょうかね。

このクリスマス休戦は、ドイツ兵からの方が多かったようです。ドイツの方が優勢だったため、精神的余裕があったことと、英語を喋れるドイツ兵が多かったためとされています。

双方の兵士は、両軍の戦死者を回収、合同で埋葬式を行い酒、タバコ。菓子類伊藤を交換し、記念写真を撮影し、塹壕間の無人地帯でサッカーまで行われたそうです。

「灯りのついたクリスマスツリーが塹壕を飾り・・・」、
悲惨な戦場が打って変わって素敵な情景に変わったのでしょうね。なぜ戦わなければならないのかなって戦争そのものをなくすことができればもっと良いのでしょうが・・・。

当然、反対意見も多く自軍兵を殺した敵を許せないとの医師もありました。アドルフ・ヒトラーは、上等兵として従軍しており、「戦時中にこのようなことをすべきでない」と言っていたそうです。

また、国土が戦場だったフランスと占領下だったベルギー兵士の多くはドイツとともにクリスマスを祝おうとはしなかったそうです。

このクリスマス休戦を題材にした映画「戦場のアリア」が2005年に制作されています。

 

203高地(二百三高地)

203高地(二百三高地)は、日露戦争(1904年~1905年)で中国北東部の旅順を日露で争奪しようと激戦を繰り広げた丘陵で、海抜203メートルであるため、このように呼ばれています。

 

旅順攻略では、日本人の死者一万数千人と大きな被害がありました。

この戦争を避けて通れば、日本は、大国ロシアの属国になっていたとも言われています。大きな犠牲を払ってでも国の誇りを守ろうとした先人の大きな判断だったのだと思います。

映画「203高地」では、日露軍の間に休戦が行われ、酒、タバコ、食料品等の交換が行われたシーンがありました。

ただ、この件を調べると詳しい情報がありません。映画だけの事だったのかもしれませんね。

 

いずれにしてもこのような大規模な戦争の悲劇を繰り返さないために、何ができるのかが重要だと思います。

安保関連法案は「戦争法案」、などとこじつけたイメージ洗脳に陥らないようにしなければいけません。


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