ラーメンお好きですか?と聞かれて「きらい」と言う人っているのでしょうか?
ほとんどいないような気がしますよね。
今じゃ、日本の食文化の一翼を担っています。
先日なんかTVで、外国人がラーメンを食べるためにわざわざ来日して、しかも以前の来日中にもらったラーメン店のサービス券を使いに来たっていうのをやっていました。
そのラーメンが日本に定着した歴史をご紹介します。
日本でのラーメンの誕生については、三つの起源説があるのだそうです。
第一の起源説とは水戸藩
第一の説には、お茶の間でも有名な黄門様が登場します。
徳川光圀と言うより水戸黄門様の方が通りが良いですよね。
水戸黄門様は、朱子学の信奉者で、国を司るための知識を当時のシナにもとめていました。
そこで「清」に倒された「明」から亡命していた朱舜水(しゅしゅんすい)に助言を求め、朱舜水は、黄門様の重要な助言者として亡くなるまで務めます。
水戸藩の墓所には、朱の立派な墓石が今も残っているのだそうです。
朱は、水戸黄門様がうどんを好むことを知り、自国の汁麺でよく使われている材料を進めたのだそうです。
材料とは、にんにく・らっきょう・ニラ・ネギ・ショウガです。朱がこうして中華汁麺の作り方を伝授した記録があるので、これがラーメンの起源とされています。
この説だとラーメンの発祥は、水戸藩(現在の茨城県)になります。
第二の起源説は函館
第二の起源説は、北海道は函館で、1800年代になります。
ペリー提督率いる黒船来航に始まり、外圧に対抗できなくなった将軍の賢威が失墜して徳川幕府が1868年に倒れます。
これにより、西洋式の軍事・産業・政治の仕組みなどを取り入れることになった日本に、ラーメンの材料となる豚肉と小麦が入ってきました。
西洋人だけでなく中国人商人(華僑)も入ってきて、横浜や神戸、長崎、函館に住み着いた彼らは、拉麺(ラーミエン)と呼ばれる汁麺を持ち込みました。
これは、明朝最初の首都「南京」にちなんで「南京そば」と呼ばれました。ただ、この「南京そば」も現在のラーメンのように多くの材料は入っていないので、起源とは言い難いと言う側面があります。
函館の外国人居住地に「養和軒」と言う食堂がありました。
「養和軒」の1884年の広告に登場したのが、最初の南京そばとされています。
当時南京そばを食べていたのは、居住地にに住んでいた中国人労働者や学生だけでした。
しかし、後に居住地の規制を緩和した1900年頃に中華街以外にもに中華料理店が出店し、東京でも屋台で販売されたそうです。
作家の永井荷風は、この屋台で南京そばを食べた最初の日本人の一人なんだそうです。
こうして、函館が発祥の地という説が誕生します。
第三の起源説、浅草
第三の説は、「来々軒」です。これは、脱サラの走りでもあり、横浜の税関職員だった尾崎貫一という人が、浅草に開店しました。1910年のことです。
来々軒では、醤油ダレのラーメンにチャーシュー・ナルト・ほうれん草・海苔等をトッピングし、支那そばとして売り出しました。
トッピングにより来々軒の支那そばは、現在のラーメンに極めて近いもので評判になりました。
味付けしたシナチク(メンマとも呼ばれます)を足すなどして現在のラーメンの原型になっています。
1910年の来々軒の支那そばは、一杯6銭だったそうで、同じ頃の天丼12銭の半額だったのですね。現在の価格では、300円くらいなので安いですね。今時のラーメンだと800円くらいはするのじゃないでしょうか。
こうして現在のラーメンに最も近いと言うことから、ラーメン浅草発祥の説が登場します。
ちなみは、私はラーメンは食べません。低糖質ダイエットをしていて、しかも血圧改善で減塩もしなくてはいけないんです。
勤め先に、ラーメン店を開店すると言う夢を持った若者がいまして、親しくしているのですが、開店しても行けそうにないです。(娘にでも行ってもらおう。)
それにしても、今じゃ国民食と言ってもよいラーメンにこんな歴史があって、いろいろな人が関わっているって凄いですね。ラーメン店を初めたい友人に教えてあげなきゃと思います。
ラーメンに関するうんちくを語るラーメン店主もいいんじゃないでしょうかね。
最後までお読みいただきありがとうございました。