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奇跡体験!アンビリバボー【瀬戸大橋建設!一人の男のアンビリバボーな生き様】
アンビリバボーな生き様の男って誰で、どんな人なんでしょう。
1978年の着工から9年6カ月を経て1988年4月完成した瀬戸大橋は、9,368mあり、橋の規模は世界最大級と言われています。総事業費は、1兆1,338億円でした。
瀬戸内海の海中50mに潜り、発破の効果や魚の被害を確認し、自治会等の説明会にすべて出席し、この大事業をリードして完成まで導いた、アンビリーバボーな男、杉田秀男氏の物語です。
偉大な英雄と呼びたい人が現代にもいるのですね。この記事を書きながら感動しきりでした。
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瀬戸大橋
瀬戸大橋とは、本州、岡山県倉敷市と四国、香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称です。
1978年、着工から9年6カ月後の1988年に完成したのですが、その瀬戸大橋建設のきっかけになったのが「紫雲丸事故(しうんまるじこ)」でした。
紫雲丸事故
紫雲丸は、日本国有鉄道(現JR)の宇高(うこう)連絡船で、岡山県玉野市の宇野駅と香川県高松市の高松駅間を運行していました。
紫雲丸は、就航の1947年6月から9年間に5回の事故を起こしました。
1955年5月の5回目の事故は、同じ宇高連絡船の大型貨車運行船と衝突、沈没し168人の犠牲を出しました。
この中には、修学旅行中の小中学生100人が含まれていて、遺体の収容の様子は凄惨を極めたそうです。
これは悲しいですね。楽しいはずの修学旅行が、一瞬にして苦しみに変わり命まで奪われてしまう。60年以上も前の事故ですが、胸が痛みます。
事故の原因は、修学旅行生の乗っていた、紫雲丸の航行に主原因があったとされていますが、船長が死亡しており、明確な解明はできなかったそうです。
この事故をきっかけにして、「橋さえあればこんな悲惨な事故は起こらない」と大橋開通を求める声が高まりました。
杉田秀男
こうして、本州四国連絡橋公団が設立され、その公団の坂出工事事務所長が、アンビリーバボーな生き様の男、杉田秀男氏です。
杉田氏のエピソードを紹介します。
工事の中断
1972年に坂出工事事務所長として赴任するのですが、翌1973年に工事は無期延期になります。当時の「オイルショック」と呼ばれた不況のため、資金の見通しが立たなくなったのです。
瀬戸大橋建設のために日本全国から集まっていた約5000人の作業員達が、35人まで減ってしまったそうです。
それでも杉田氏は、弱音を吐かず、意気消沈の部下たちにこう話します。
「逆境をはねのける信念が必要だ、工事は必ず再開する、この時間を無駄にしてはいけない」
そうして、若い部下たちに、欧米の橋脚工事の技術を、自分の目で見て勉強してくるように勧めます。
なんという強いリーダーシップなんでしょうね。部下たちも元気づけられたでしょうね。
「この人を信じてついて行けば大丈夫!」と信じた部下もたくさんいたんじゃないかと思います。
先に書きましたように着工が1978年なので、6年近くも雌伏の時だったんですね。強靭な意志力だったんでしょうね。
自転車通勤
着工した瀬戸大橋の基礎部分は、海中50mになるところもあり、その深い海中を実際に確認し、状況を把握するためには、人間が潜って目視で確認するしかありません。
多くの場合は、プロのダイバーに任せるところでしょうが、アンビリーバボーな男、杉田氏は、自分で潜ろうと決意します。
すでに50歳代になる杉田氏は、50mを潜る体力をつけるために、丸亀市の住まいから工事事務所までの12kmを自転車で通勤します。
普通に自転車で走っても筋力がつかないと判断した杉田氏は、時速30kmのスピードで往復通勤していたそうです。特に仕事帰りの復路はつらかったそうですが、やり遂げます。アンビリーバボーとしか言えないですね。強靭な意思と肉体の人だったのでしょうね。サムライと呼びたいです。
ダイビング
そうして、実際にダイビングを学び、50mまで潜れる資格をとり、自分で潜って確認していた・・・驚きですね。橋を造る情熱が人をここまで行動させるのでしょうか。
自分で潜って海底に仕掛けた発破(土木工事で爆薬を使って爆破すること)の結果や、周辺の魚への被害を確認していたんだそうです。
アンビリーバボーな情熱と行動
近隣の漁で生活をする漁師たちには、魚が取れなくなるのではとの不安があり、工事反対の意見もあり、その人達への強い責任感が杉田氏にここまでの行動をさせていたのでしょう。
杉田秀男氏は、この責任感から近隣住民や漁師達への説明会はすべて自分で出席します。
500回にもなる説明会に、全て出席した杉田氏は、どんなに遅くなっても自分から先に帰ろうとはしませんでした。
この姿勢が、自治会の人たちや漁師達の心をつかんだんでしょうね。深い信頼を勝ち得た結果、番組にもある、瀬戸大橋記念館の銅像となったのでしょう。
「多くの人々が、それぞれの立場で事業を支えてきたからこそ、瀬戸大橋は完成した。私自身はその中の1人に過ぎない」
杉田秀男氏の言葉ですが、「その中の1人の情熱」が、この世界最大級と言われる、9,368mの橋に関わった人々の原動力になったのは間違いない、と思います。
まとめ
6/24フジテレビ、奇跡体験!アンビリバボー【瀬戸大橋建設!一人の男のアンビリバボーな生き様】のアンビリーバボーな男、杉田秀男氏のエピソードを紹介しました。
瀬戸大橋にこれほど偉大な物語があったとは知りませんでした。過去にもTVで紹介されていたようですが・・・。
この記事を書いて大変な感動を覚えています。強い信念で人々の役にたちたい、とは思いますが、どれほどのことが自分にできるのか?これから、この物語を思い出して、自分の気持ちを奮い立たせることが多くなりそうです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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