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2月4日、プロフェッショナル仕事の流儀「虐待・貧困支援 高橋亜美」
児童虐待の相談件数が過去最高値を更新するなか、大人になってなお、かつて受けた虐待の傷に苦しむ人がいる。高橋亜美(46)はそうした人を支援してきた第一人者。相談者と向き合い、人生を懸けて支える。「支援にゴールはない」と言い切る彼女には壮絶な過去があった。虐待を受け、「死にたい」と思い詰めた幼き日。そのとき見つけた希望の灯(ともしび)とは…。#もしかしてしんどい? #虐待を考えるキャンペーン
児童虐待の相談件数は、30年度(2018年度)15万9、850件で前年度の20%超え、過去最高を記録しました。(2019年8月1日:厚労省発表)
この記事は、そんな虐待にあった子供の自立後の、アフターケアの必要性に気づき、アフターケア相談所「ゆずりは」を立ち上げた高橋亜美のプロフィール、壮絶な過去、ケア対象の子供たちの姿を解説しました。
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高橋亜美プロフィール
- 1973年生まれ
- 日本社会事業大学社会福祉学部卒業
- 2011年よりアフターケア相談所「ゆずりは」所長
- 著書『愛されなかった私たちが愛を知るまで―傷ついた子ども時代を乗り越え生きる若者たち』(かもがわ出版 2013年)
- 〃『子どもの未来をあきらめない 施設で育った子どもの自立支援』(明石書店 2015年)
- お子さんあり(子育てとか母親とか発言されています)
壮絶な被虐待体験
小学4年生から2年間、父親から虐待を受けます。
きっかけは卓球で、父親は普段は穏やかな人なのですが、過去に卓球に取り組んでいて、娘(高橋亜美)にそれを託そうとします。
父親は、強制的に卓球の練習をさせ、練習で反抗的な態度をとると殴られます。
ある時、郊外に練習に行く車の中で口論になり、車から降りるように言われ、反発して高橋亜美は車から降ります。父親は娘を置き去りにして帰ってしまい、2時間かけて歩いて家に戻ると、また父親から殴られます。
路上に放置されて2時間歩いたのは、高学年とは言え、小学生です。できることじゃないですね。卓球のことになると人格が変わる方なんだそうです。
2年近く、こんな状態が続き、小学6年生で父親に「もう卓球はやらない」と談判し、父親は、彼女に卓球をさせることをあきらめたそうです。
2年足らずの、暴力に支配される体験は、もっと悲惨で長期に渡る暴力を受けている子供たちを理解するために貴重な体験だったと言います。
あすなろ荘体験
大学4年のときに「あすなろ荘」に実習に行きます。本来は3年時に実施するものなのですが、些細なことで停学をくらってしまい、4年時になり、また実習先を本人の希望で選ぶことはできなかったそうです。
「あすなろ荘」とは、自立援助ホームです。
自立援助ホームとは、義務教育終了後15歳から20歳までの家庭がない児童や、家庭にいることができない児童が入所して、自立を目指す家である。児童自立生活援助事業として児童福祉法第6条の3第1項および33条の6に位置づけられている。2014年10月現在、全国で118か所が設置されている。
ウィキペディア
- 自立援助ホームあすなろ荘
- 社会福祉法人「子供の家」運営」
- 〒204-0022
- 東京都清瀬市松山3-12-14
- TEL/042-492-4632
- 西武池袋線「清瀬駅」から徒歩約15分
- HPはこちら
靴下が一番うれしかった少女
高橋亜美は、あすなろ荘で出会った少女の言葉に衝撃を受けます。
父子家庭で育ち、実兄から暴力を受け、ゴミ屋敷で、ろくに食事も与えられず、やっとあすなろ荘に保護された少女に、
「施設に入った時、何がうれしかった?」
と聞くと、
「靴下」
と少女は答えます。
「暴力をふるわれなくていい」とか「普通にご飯が食べられる」
などの答えを予想していた高橋は、え?と思います。
話を聞くと少女は、靴下を履いたことが一度もなく、施設に収容されたときに職員が足にクリームを塗ってくれて
「足が冷たくなってるね。」
と、靴下を履かせてくれたことが一番うれしかったそうです。
それを聞いて、
「靴下を履く、とか、歯を磨く、とかは当たり前のことと思っていたが、それは周囲の大人たちが育んでくれたから」
と気づかされます。
これによって、子供が生きて行く上で、それを育んでくれる周囲の人の存在の重要さを思い知らされます。
子供たちが、暴れていたり汚い格好をしているのは、そうなるだけの背景があり、「大切にされなかった」結果だという事を忘れてはいけないと知らされます。
普通に(何を持って普通とするのかはともかく)育てられる子供たちの中に、その普通を奪われた子供がいるということなんですね。
そして、冒頭の厚労省発表の数字を見ると日本には、普通を奪われた子供が16万人いるということなのでしょう。
高橋亜美は、この実習後、あすなろ荘で働くよう誘われますが、当時は「自分には適性がない」と感じ、数年間は他の仕事をしたり、海外旅行を楽しんだりします。
それでも、あすなろ荘と完全に縁が切れたわけではなく、児童福祉のことを気にしつつ過ごします
そうして5年ほどたつと、あすなろ荘で働く事を希望し、受け入れられます。
アフターケア相談所「ゆずりは」を立ち上げる
- アフターケア相談所「ゆずりは」
- 〒185-0011
- 国分寺市本多1−13−13
- TEL:042-315-6738
- JR中央本線、西武国分寺線・多摩湖線「国分寺駅」から徒歩約10分
- HPはこちら
あすなろ荘に勤め、子供たちの世話をし、相談に乗り、子供たちが施設を出た後の生活のことをアドバイスしたりなどして過ごします。
子供たちは、20歳になるとあすなろ荘を出て、自立することを求められます。
あすなろ荘を出て、自立したはずの子供たちが、幸せに暮らしているのかと言うとそんなに簡単には行きません。
進学や就職、住まいを借りるのに保証人がいない、など家庭というセーフティネットがないための困難が待ち構えています。
子供たちの中には、
- 犯罪を犯して服役
- 自殺
- 望まない妊娠
- 性産業に従事せざるを得ない
- ホームレス
などがいることを高橋亜美は、徐々に気づかされます。
これにより、あすなろ荘でのケアだけでは不足、と感じ初めます。そして、施設を離れた跡で相談に来る子供たちは、気軽には相談に来ていないと感じます。
まずは、あすなろ荘の退所者を対象にしたアフターケアを始めてみると、他の施設の退所者も同じ悩みを抱えていることに気づきます。
これを受け、あすなろ荘の退所者にこだわらないアフターケアが必要ということがわかり、2011年4月にアフターケア相談所「ゆずりは」を立ち上げます。
施設を退所後に相談に訪れた子供たちに聞くと
- 施設の職員にこれ以上迷惑をかけられない
- 自立したのだから甘えてはいけない
などの思いが伝わってきます。もともと家庭で甘えられなかった子供時代を過ごして気軽に甘えられなくなっているのかと思います。
自転車で4時間かけて相談に来た女性
「ゆずりは」では、こんなエピソードもあります。
ある日、養護施設出身の女性から電話があります。
「結婚したが。経済的DVを受けている、離婚相談に行ってもいいか?」
「お待ちしています。」
と電話を切りますが、待っても相談者は現れません。
どうなったんだろう?と思案していると、汗だくになって自転車で到着した女性が待たせたことをわびます。
なんと女性は、数百円の所持金すらなく、神奈川から東京都国分寺にある、「ゆづりは」まで4時間近くかけて自転車で来たのです。なぜ気づいてやれなかったのか?と後悔します。
「そちらに伺いましょうか?」と言えばよかった・・・・と。
悲しいですね。こんな話を聞くと自分が当たり前と思っていることが全然違ってて、恵まれてるんだと思い知らされます。
それからは、相談を受けるたびに「料金は一切かかりませんよ、そちらに伺いましょうか」と必ず声をかけるようにしているそうです。
「ゆずりは」でケアする人は、若年に限りません。60代の方もいるそうで、子供の時に奪われたことの影響は、簡単に回復しないことがわかります。
家庭で愛されない子供は、自己肯定感を持てません。
- 親に褒めてもらったことがなく、殴られていた。自分は無価値な存在
- 施設を出されて、帰るところがない、風俗しかなかった、私はいらない子
- 父が怖い、男性が怖い、結婚した今も自分に価値を感じない
- 年齢で判断されて施設を出された、安定した生活なんて夢でしかない
などなどの声があります。
まとめ
2月4日、プロフェッショナル仕事の流儀「虐待・貧困支援 高橋亜美」から、アフターケア相談所「ゆずりは」代表の高橋亜美さん、虐待体験、自立援助ホーム「あすなろ荘」での体験、アフターケア相談所「ゆずりは」とエピソードを解説しました。
「子供の貧困」「児童虐待」など目にはしますが、知っているようで知らない社会の問題、共通認識されて、少しでも助け合うことができるようになればいいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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