逆転人生「スター・ウォーズのCG」成田昌隆、50歳で夢達成!

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1月27日放送、逆転人生「スター・ウォーズのCGを手がけた脱サラ証券マン」

公開中のスター・ウォーズ最新作「スカイウォーカーの夜明け」。その大迫力CGを手がけた日本人アーティスト成田昌隆さんの大逆転劇を紹介。なんと成田さんはCGを作ったことがない証券マンだった。妻と幼い子供を抱え、45歳で脱サラ。苦難の末に、ハリウッドのトップCGアーティストに登りつめた。スター・ウォーズ制作舞台裏にあった逆転ドラマ、さらにはプラモデルの全米チャンピオンでもある成田さんの驚きの作品も紹介!

証券会社を退職した日本人、成田昌隆さん、46歳でCGモデラーを目指し、ついには、スターウォーズのCG製作に携わる夢をつかみ取りました。

成田昌隆さんとは?CGモデラーとは?50歳で夢達成とは?
を解説しました。

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成田昌隆氏経歴

  • 1963年生まれ
  • 愛知県出身
  • 高校生でスター・ウォーズと出会う

高校生でスター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望(1977年公開)と出会い、衝撃を受けますが、ハリウッドは遠く、儚い夢を抱きつつ、大学卒業後は家電メーカーから証券会社と移り、証券マンの時代を過ごします。

 

1993年に米国支社へ転勤すると映画トイ・ストーリーと出会います。

CGでも映画が作れる、と感動を受け、この映画のクレジットに日本人の名前を発見し「日本人もハリウッドで活躍している、もしかすると自分も・・・」と夢が広がります。

ちなみに、クレジットに発見した日本人は、「小西園子」です。

 

小西園子とは

小西園子とは、ディズニー/ピクサーのテクニカルディレクターです。

7歳の時に、スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望と出会い、映画製作を志望し、17歳で渡米、ピクサー(ディズニー・スアタジオ傘下の映像制作会社)に入社します。

 

お気づきになりました?この二人は、どちらもスター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望の影響で映画の世界に飛び込んだのです。

すっごい偶然なのか、スター・ウォーズの力なのか。まさか、フォースのせいじゃないでしょうね。笑

 

さて話は戻って、成田氏は、もう一度夢を抱き、ソフトウェアを買い、CGを自学します。

ところが、就労ビザの取得に時間かかっている間に、お父上の他界もあり、一度は諦めます。このときが2000年頃とのことなので、36~37歳の頃ですね。

 

夢を一度諦めた成田氏は、小・中学校でハマっていたプラモデルを初めます。5歳になった息子さんに教えようと思いつつ、再度、ご自分がハマってしまい、ついにはアメリカのコンテストで優勝します。

これが、優勝作品です。現在はタミヤ本社に展示されているそうです。

 

成田昌隆氏再挑戦

2008年頃、リーマンショックなどでアメリカ経済に変化があり、支社縮小などがあり、帰国を迫られると、やはり「夢を実現!」と証券会社を退職、専門学校で視覚効果技術を学びます。

この頃、44~45歳です。

 

その後、自動車のCM、アイアンマンなどのモデラーを勤め、経験を積みます。
この頃が46歳ですね。

 

CGモデラーとは

CGモデラーとは、成田氏によると、「コンピューターの中にプラモデルを作るようなもの」とのこと。

ただし、プラモデルは、箱を開けると小さなパーツが入っているのでそれを組み合わせていくのですが、CGでは、パーツがありません。で、そのパーツから作り、それらを組み合わせてミレニアム・ファルコンなどができるのです。

例えば、ファルコンを一度モデリングしてしまえば、細かい部品が出来上がるので、その次は、リニューアルが必要なら、必要な部分だけ改造すればいいのでしょう。

 

スター・ウォーズ旧三部作が制作された当時は、CGはありません。そこで、模型を作って、実際のカメラで撮影して、フィルム合成して映像を作っていました。

これは“キットバッシング”という独特の手法なんだそうです。

手作りでベースを作っておいて、そこに市販のプラモデルの部品を付け足していきます。自動車・戦車・戦闘機などのためにデザインされた部品を貼り付けることによってファルコンのポンコツなイメージが出たってことですね。

あちこち、修理しながら乗り続けているってイメージになったのでしょう。

 

スター・ウォーズ旧三部作とは

  • スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望(1977年公開)
  • スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(1980年公開)
  • スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還(1983年公開)

 

現在は、CGになってその視覚効果はますますリアルになっていますね。

日本の特撮も同じことをやっているのですが、なにかギクシャクして見えるのはなぜかな、技術が低いのかなと思っていました。

成田氏について調べているとわかりました。なんでもアメリカの映画と日本との差は、レビュー数と使える資金だそうです。

アメリカの映画は、世界に売り出すので、それだけの資金が使えて、ミレニアム・ファルコンなどは、監督や監修者によるレビューは、20万回位になると言うのです。

それはリアルなものができるでしょうね。

 

リアルについても、成田氏は言います。

「生物は、造形力がとにかく重要で、特に顔は難しい、たとえ怪物でも生物学/解剖学的構造としておかしいものを作ると違和感が生じます。」

生物でなくても、例えば、駆動部と燃料タンクなどの配置とかを、イメージして作らないと不自然な結果になってしまうそうで、空想の世界であっても現実にありそうなものを作り込まないけないということなんですね。

 

スターウォーズに参加

 

スター・ウォーズのプロジェクトに参加したのは、成田氏50歳の時です。

45歳で勤めていた証券会社を辞め、CG学校に学び、46歳でモデラーデビューし、50歳で40年前に衝撃を受けた「スター・ウォーズ 」に実際に携わることができたのは、感動だったそうです。

 

ずっと、成田氏の年齢を書いて来た理由はここにあります。

15~16歳で夢を見ますが、そちらへは進まず、後に渡米してトイ・ストーリーに感銘して、また夢が膨らみます。

しかし、36~37歳の頃に膨らみかけた夢を諦め、44~45歳で再び夢に挑むために長年勤めた会社を退職し、あらためて学校に通い、46歳でCDモデラーデビュー、そして50歳で憧れ続けた「スター・ウォーズ 」のモデリングにつくのです。

 

凄くないですか?「今があなたの人生で一番若い(だからあきらめないで)」って言葉がありますが、それを代表したような人生じゃないですか。

この記事を書くにあたって、一番強調したいと思ったのが、ここでした。

「何度も年齢が出てきてうるさいな」と思われたかもしれませんが、これを強調しないでなにをするのか?って思いで書いています。

 

まとめ

1月27日放送逆転人生「スター・ウォーズのCGを手がけた脱サラ証券マン」から50歳で夢を達成した成田昌隆氏を紹介しました。

年齢なんか関係ない、夢は諦めなければ達成できる!・・・これを体現した成田氏、逆転人生じゃなくて奇跡の人でも呼びたいですね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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