1/9奇跡体験!アンビリバボー、女性パラグライダーは、その後は?

TV番組
https://www.directexpose.com/paraglider-ewa-wisnierska-storm/より引用

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1/9放送の奇跡体験!アンビリバボーは,1万メートルの高空から、決死の生還を遂げた女性パラグライダーを取り上げています。

女性パラグライダー選手が競技中に上空1万メートルへ!!そこは気温マイナス55度酸素濃度地上の4分の1の死の世界。絶体絶命!!彼女の運命は!?

何が起こったのでしょう。その後の女性パラグライダーはどうなったのでしょう?

https://www.directexpose.com/paraglider-ewa-wisnierska-storm/より引用

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事件概要

13年前に事件は起こります。

2007年2月14日、ドイツ人のエバ・ウィスニエルスカさん(35)は、オーストラリアで行われるパラグライダーの世界選手権に備えてオーストラリア東部で練習をしていました。

飛び立った時は天候はほぼ完璧だったのですが、90分ほどして突然、嵐に見舞われ、上空高く舞い上げられました。
「そこらじゅうで雷の音がした。暗くて、何もかもが凍っていた。どうすることもできず、ただ祈るしかなかった」 エバ・ウィスニエルスカさん談

同選手は1分間に約400メートルの速さで上空に巻き上げられ、気を失います。気がついた時には高度6900メートルのところを流されていて、体やパラグライダーは氷で覆われていたそうです。

計器は、同選手が最高で9946メートルまで上昇したことを示していた。同選手の異常な体験は、15分間で世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)に登るようなものだそうです。

同じ嵐に襲われて42歳の中国人選手が体温の異常低下と酸素欠乏症のために死亡しています。

高度9946メートルにもなると、気温は、マイナス50℃になるそうで、地上に戻った時は、体は氷で覆われ、凍傷で黒ずんでいたんだそうです。

気圧を考えると、海面(標高0メートル)では1013ヘクトパスカル(1気圧)ですが、高度1万メートルでは、285ヘクトパスカルになります。

約3.5分の1ですね。(放送では、1/4としてますね。)おそらく、数十分でこの高さまで巻き上げられたと思うのですが、「潜水病」とかならないんでしょうか?

 

潜水病

潜水病とは、10m以下(特に30m以下)に長時間ダイビング中、急上昇すると血液中に溶け込んだ窒素が気泡化し、発症します。スキューバダイビングで、海中に潜り、海面に上がるスピードが早いとなる症状です。

気泡化した窒素が血管を塞ぐので、脳卒中に似た症状が出るそうです。

 

水深10メートルで海面の2倍の気圧なので、3.5分の1くらいなら大丈夫なんでしょうか。

というのも、スカイダイビングは4000メートルくらいの高度から、ダイブするのですが、エバ・ウィスニエルスカは、1万メートルなので。

と思って、「スカイダイビング 潜水病」でいくら調べても情報がないのです。ただ、スキューバダイビングの翌日に、スカイダイビングや飛行機に乗るのはダメなようです。

潜水病が発症しやすいようです。

で、そんなことをしつこく調べていたら、こんな動画を見つけました。

 

パラシュート無し決死のスカイダイビング

米国カリフォルニアで、42歳のプロスカイダイバーが高度7.600メートルからパラシュート無しでダイブする動画です。

地上に設置した30メートル角のネットに着地する、と言う恐ろしいチャレンジで、見事に成功しています。スカイダイビング1万8.000回以上の経歴とは言え、驚きです。

「ルーク・アイキンス(Luke Aikins)」と言う方で、42歳だそうです。2016年のことのです。

 

 

さて、少し脱線したので話を元に(エバ・ウィスニエルスカさん)に戻しましょう。

2007年6月号

9946mから生還した、奇跡の証言
たくさんの批判に、私はこう答えるわ。確かに私は過ちを犯した。
だけど私は普通の人間よ。誰にでも起きることよ。
オーストリアのソングライターが私に捧げる歌を贈ってくれた。それは『嵐の中の蝶のように』という題で、それを聞くといつも涙が止まらないわ!

パラワールドに載っていた名言集2007

 

2009年2月号

以前の私は非常に戦闘的で、怖いもの知らずだった。だからすぐにトップに上りつめた。
何もかもうまく行ったわ。他の選手よりも100m距離を伸ばすためには、追い風でもランディングできる選手だと言われもした・・・。

二度も奇跡的に命拾いして、心底パラグライダーをやめるべきかと思った。しっかり信用を失ったと思ったし、「運がよかっただけで頭は空っぽの女」と皮肉を言う人もいた。

 

まったくその通りね。すぐに止めるべきだと思った。その方が続けるよりもずっと簡単だった。

でも、反対の道を選んだ。自分を変えようと思ったの。「すべて最初からやり直そう自分に余裕を持って、安全に、正確に、確実に飛ぼう。それができないならやめよう」って。

レース前はいつも、『飛ぶべきか飛ぶべきではないか?』自問することにした。
飛ばないと決めるのは、とても辛かった。それはまったく自分らしくないもの。
自分に問い続けたわ。『飛ぶことによって何が得られるのだろうか?』答えがノーだったら後は明快だった。私は飛ばない。知らないうちに心の持ち方が変わっていたの。

自分の経験が他のパイロットの教訓になり、パラの発展のために役立つと思った。

 

ところが、あの私の積乱雲事件からまだ数週間しか経っていないのに、周囲で雷鳴が轟きと稲妻が光る状況でレースを実施している。結局、何も変わらなかった。

コンペでは『安全飛行』と『安全でない飛行』の間に境界線などない。リスクを負わないでよい成績を上げることはできない。こんな理由で、今度こそ、コンペから引退しようと思っているの。

 

謙虚さと辛抱することも学んだ。自分はあまりに早くトップに到達したため、辛抱を知らなかったのね。パラは私にとってよき人生の学校よ。

既に2005年に、ワールドカップで6回連続して優勝した。それ以後、たくさんのことを学んだ。つまり、トップになるよりもそれを維持することがいかに難しいことかをね。
下位から再出発しなければいけないことはとっても難しいことだけど、それだけ面白いと言える。楽しいのは、到達してしまった頂点ではなく、そこに至るまでの道程よ。

 

始めた頃は、飛ぶことは喜びでしかなかった。でも実際は、パラは私に人生の教訓を教えてくれたし、自分の性格について学ぶことも教えてくれた。パラは自分を確立するのを助け、強くしてくれた。特に積乱雲の出来事は、決して諦めてはいけないこと、戦えないことなどないこと、決して『もうこれ以上できない』などと弱音を吐かないことも教えてくれた。

パラワールドに載っていた名言集2009

両方とも「パラワールド」という雑誌に掲載されたエバ・ウィスニエルスカさんの言葉です。

長い引用で申し訳ないのですが、ご本人の言葉なので端折るのもどうかと思いました。

最後の、
特に積乱雲の出来事は、決して諦めてはいけないこと、戦えないことなどないこと、決して『もうこれ以上できない』などと弱音を吐かないことも教えてくれた。
ってところが響きますね。

何事かをなしうる人は、ホントに強い。

パラシュート無しダイブのルーク・アイキンスさんもそうです。

先日、「NHKスペシャル巻頭言」に出演されてた、南谷真鈴さんが、山での滑落事故であわやという経験をしながら、「山に生かされた」と新たに探検にチャレンジすると言う記事を書きましたが、通じるものがあると思います。

 

エバ・ウィスニエルスカさんその後

英文のサイトなので、機械語翻訳を読んでみると、パラグライダーの若手を指導しているようです。

事故後にもレースには、出たようですが、選手を引退したのか、まだ現役なのかはわかりません。

放送でそのあたりも触れると思います。

 

まとめ

1/9放送、奇跡体験!アンビリバボー【上空1万メートル決死のパラグライディング】から、1万メートルから生還した女性パラグライダー、エバ・ウィスニエルスカさんの事件概要と、その後を紹介しました。

途中、脱線してスカイダイビングを挟んでしまいましたが、世界にはすごい人がいることをお伝えしたかったのでご了承ください。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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