歴史秘話ヒストリア「前畑、女性初の金メダル」その記錄と受けた重圧とは

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1月15日(水) 放送、歴史秘話ヒストリア「前畑がんばれ 誕生!女性初の金メダル」

日本人女性初の五輪金メダリスト・前畑秀子。栄光の裏で、金メダルを求める国民の重圧に苦しめられた。

 

金メダルを求める国民の重圧とは?選手はどう感じたのか?をまとめました。

 

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前畑秀子

幼い頃は、病弱で両親が男の子のように育てたそうです。幼い頃から水泳を覚えて、13歳で、日本女子新記録を出すのですから、驚きです。

  • 1914年5月生まれ
  • 1927年(13歳)100m平泳ぎ「学童新記録・日本女子新記録」1分38秒
  • 1928年(14歳)  〃    自己記録更新 1分33秒2
  • 1929年(15歳)「汎太平洋女子オリンピック大会」100m平泳ぎ優優     200m平泳ぎ2位
  • 1932年(18歳)ロサンゼルスオリンピック、2位で銀メダル、1位と10分の1秒差
  • 1936年(22歳)ベルリンオリンピック、200m平泳ぎ1秒差で優勝、金メダル獲得

 

追い詰める市長

銀メダルでしたが、日本記録6秒も縮めての更新に満足し、ロサンゼルスから帰国した前畑秀子に、

「前畑さーん、前畑さんはどこにいるんだ?」
という声が聞こえてきました。見ると、お年よりのりっぱな方が、どうやら私をさがしているようです。
「はい、前畑でございますが」
その方は、穴のあくような目で私の顔を見ました。
「あなたが前畑さんか」
私は、その方が、私の手にした銀メダルを見て、お祝いのことばをのべてくださるのだろうと思っていました。しかしその方は、銀メダルには目もくれずに、わたしの顔をじっと見つめています。(中略)
「あなたはなぜ、金メダルをとってこなかったんかね?」
私は、あまりのことに返事もできません。(中略)
「あなたは、たった10分の1秒の差で、2着になってしまったんだろう? なぜ1着になれなかったんかね?」
その声は、まるでおこっているようでした。(中略)
「あなたは日本記録を6秒もちぢめたといいたいんだろう。でもそのくらいなら、なぜもう10分の1秒ちぢめて、金メダルをとってくれなかったんかね? わたしはそれがくやしくてくやしくてたまらないんだよ」
私はまた声も出ません。(中略)
「いいか、前畑さん、このくやしさを忘れずに、4年後のベルリンオリンピックではがんばってくれよ」

前畑の著書「前畑ガンバレ」より

 

これを言ったのが、東京市(現在の東京都)の永田秀次郎市長だそうです。

東京都のトップって、歴代ろくでもなかったのかなと思いそうになりました。
石原慎太郎がいたのが救いですね。

 

東京トップのひどい発言です。応援してたのはわかるし、残念に思うのもわかるけれど、
「なぜ、金メダルをとってこなかった?なぜもう10分の1秒ちぢめて・・・」
なんてことを言う、神経がわかりません。

前畑選手を憎んでて、傷つけたいと思った時に言う言葉ですね。

それも「わざわざ探し出して言うことか?」と思いますね。今頃だったら、SNSとかで吊し上げじゃないでしょうか。

 

と言いつつも、
「おめでとう、ご苦労さまでした。10分の1秒差で優勝できなかったのは残念でしたね。」くらいは言ってしまうかな、と思います。そうしてそれですら、相手を傷つける結果になるのでしょうね。それは次のエピソードでわかります。

Arek SochaによるPixabayからの画像

ファンレター

この後、前畑秀子が名古屋の椙山(すぎやま)女学校に戻ると、大量の手紙が届いています。その内容が永田市長と同じ意見だったのです。

「たった10分の1秒の差で負けてくやしい」
「次のベルリンでがんばって」

でも考えてみてください。

手紙の中に「なぜ、金メダルをとってこなかった?」と書かれていたのでしょうか?
類推するしか有りませんが、なかったんじゃないでしょうか。だってあまりにも常識がないですから。

「銀で残念でしたね、次こそは!」とか
「次回の優勝に期待します。」
くらいのことは書くでしょう。

でも前畑秀子が、届いた手紙と永田市長の言葉を同一視しているということは、これでも選手にはプレッシャーだということなのでしょう。

どんな結果になっても、祝福とねぎらいの言葉だけでいいんだろうと思います。

子どもが受験に失敗しても、「残念だったね」なんて言わなくていいのでしょう。ネガティブな言葉を聞くと本人は、責められていると感じてしまいます。

「よくやった、がんばったね」だけで後はそっとしておく・・・これから気をつけます。笑

 

ベルリンオリンピック

国民からの重圧はきつく、「金メダルをとれなかったら死ぬしかない」とまで思いつめていたようです。世界が戦争に向かっていて、国威発揚のためにも、金メダルが求められていたのですね。

金を取れなかったら、帰りの船から海へ飛び込もうか、いや泳ぎは得意だから死ねないかも・・・」と考えた、と言うのだから、重圧の大きさがわかります。

レースの直前には、紙のお守りを水で飲み込んだそうで、日本国民に総力で追い詰められ、最後は神にすがったのでしょう。

 

レースの結果は、見事金メダル獲得だったので、肩の荷が下りたろうなと思います。

 

これらのエピソードを見ると、1964年の東京五輪で銅メダルを獲得しながら自殺してしまった円谷幸吉が思い返されます。

円谷幸吉

  • 1940年生まれ
  • 陸上自衛官
  • 東京五輪マラソンで銅メダル
  • 1968年、カミソリで頸動脈を切り、自殺

東京五輪で日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルとなり、さらに男子10000mと合わせて2種目入賞も果たして「日本陸上界を救った」とまで言われた。

ウィキペディア(2020年1月1日)

 

メダルが唯一だったから、「日本陸上界を救った」んですか。

言ってる方は、褒めたつもりなんでしょうが、言われた方はプレッシャーでしかないです。

東京五輪後、次の、メキシコシティオリンピックでの金メダル獲得、を目標に掲げた円谷幸吉は、持病の腰痛が再発、椎間板ヘルニアを発症、元のように走れなくなります。

そうして、メキシコシティオリンピック開催年の1968年の1月9日に28歳と言う若さで自殺してしまいます。

 

真面目で責任感の強い好青年だったと言われる、円谷幸吉がなぜ自殺したかは、わかりませんが、これらのプレッシャーが関係なかったとは思えません。

円谷幸吉の死後に作られた歌です。

 

2020年東京五輪

くしくも、今年(2020年)は、東京五輪の年です。

「マラソン開催を北海道で」ってことで、国際オリンピック委員会、東京五輪組織委員会、東京都と権力争いみたいなこともありました。

出場選手には、どうすることもできません。

国を背負って戦う選手に重圧を与えるのでなく、名誉を与えてあげてほしいものです。

人より身体能力が高かったとしたら、誇らしいことですが、それで傷つくとか、死を覚悟するなんて、大変な間違いです。

 

まとめ

1月15日(水) 放送、歴史秘話ヒストリア「前畑がんばれ 誕生!女性初の金メダル」から前畑秀子の記錄、国から受けた重圧と、それを受ける前畑の心、同じような重圧を感じていたと思われる、円谷幸吉のエピソードなどをまとめました。

東京五輪では、出場選手に重圧をかけるような、報道・識者の発言などがないことを望みます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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コメント

  1. […] 女性初の金メダル、に輝いた「水泳の前畑選手」の記事でも書きましたが、選手への重圧が今も変わらずあるのではないでしょうか。 […]

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